GEZAN『NEVER END ROLL』が刺さらなかったヤツが『狂(KLUE)』を狂う程、聴き入ってる話。
始めはあまり乗り気ではなかった。
GEZAN。名前も知っていたし、音源も軽く聴いたことがあった。
そして何より「ライヴがアツいからとにかく一回来い。」と知人や、ネット上の音楽好きな方々の声を何度も見聞きしたことがあったので、気になってはいた。
しかし、未だに自分は行ったことが無い。正直な話、初めて聴いたアルバムである彼らの3rdフルアルバム『NEVER END ROLL』が個人的に刺さらなかったことが、足取りを重くしていた要因の一つなのかもしれない。
実際、昨年行われたFUJI ROCK FESTIVAL'19で彼らのライヴを体感する機会はあった。
が、運の悪いことにタイムテーブルの時間がTempalayとダダ被りだった。どちらに行こうかと一緒に行った知人と始まる直前まで悩んでいた。その末に知人とは一旦別れて、自分はTempalayに向かった。
Tempalayのライヴの満足感は凄まじかった。
正直Tempalayについても話をしたいが、本筋と逸れてしまうので別の機会に。
なので当時、「GEZANとTempalay被せるフジロックは何考えてんだ!」と文句を垂れていたが、そこまで後悔はしていなかった。
だが、GEZANの5thフルアルバムである今作の『狂(KLUE)』を聴くと「あの時GEZANに行けばよかった!」と瞬間的に後ろ髪を引かれる思いに駆られた。
東京の現実を見る覚悟はあるか?
まず1曲目の「狂」で一気に心を掴まれた。
最初、自分はいつもと同じ感覚で「好みに合う音楽があるかな~」と新譜を漁っていた。その中にGEZAN『狂(KLUE)』があり、多くのアルバムの1枚として、電車の中で音楽プレイヤーの再生ボタンを押した。
そうすると第一声でいきなり〈今、お前はどこでこの声を聴いてる?〉と投げかけてくる。〈iPhoneのショボいスピーカーから?はたまた電車の中目を瞑り左右のイヤホンから?まあ楽にして聞いてくれ。〉と立て続けに語りかけてくる。
電車の中で音楽を聴くことは近代社会の中でよくある光景なのだろう。だが、自分は自分の行動を見透かした上で、自分に語り掛けている様な錯覚に陥った。
そこからはもう”狂”ったように、『狂(KLUE)』に聴き入った。
〈シティポップが象徴してたポカポカした幻想に未だに酔っていたいキミにはオススメ出来ない。今ならまだ間に合う。停止ボタンを押しこの声を拒絶せよ。〉
息をつく暇も無い43分
1曲目の「狂」では、残酷かもしれない少し先の未来への覚悟があるのか?と言うIntroductionのような曲になっている。「狂」が終わる間際に4拍子や8拍子の声で作られたフレーズが流れミニマル・ミュージックへと変貌し、次の「EXTACY」に繋がる。
身体が暖まって来たところに、間髪入れず3曲目の「replicant」が流れ出す。「replicant」では100だったBPMが倍の200に変化し、更に加速度を上げて踊り狂い出すのにピッタリな楽曲となっている。
4曲目の「Human Rebellion」では〈キミとボクとの新世界〉と告げ、5曲目「AGEHA」が始まる。16拍子で鳴らされる重いベース音から始まり、歪みの効いたギターも参加し、更に激しさを増して突っ走っていく。
6曲目の「Soul Material」ではBPMが100に戻り、先ほどまでと比べると狂気は孕んでいるが、クールダウンし、ゆったりと聴かせるような印象となっている。
次の7曲目の「訓告」はタイトル通り、後ろで重苦しいベースが流れ、ドスの効いた歌声で地面を這うような重苦しさがあり、曲の終盤に〈2000年代を生きる者よ。もしこの声が聞こえるならレヴェル・ミュージック以外の音楽をプレイリストから消去せよ〉と訓告が成される。
その後、1分弱の「Tired Of Love」と疲労からの休息のような曲に繋がる。
9曲目「赤曜日」では〈神様を殺せ。権力を殺せ。組織を殺せ。GEZANを殺せ。〉とあり、現状からの脱却、破壊から始まる創造のような、GEZANのメッセージのようなものを感じる。
「Free Refugees」ではループしたフレーズが後半から流れ始める。そして今作の中核を担う「東京」に繋がる。
最初は“東京”って曲ができて、その前に連なる背景を描いていくっていうイメージだった。
「東京」は近い未来の曲だとフロントマンのマヒトゥ・ザ・ピーポーが同インタビューで答えている。
〈インターネットが神様のかわりをして誰を救ったの?〉と近年のSNSの在り方の疑問。
〈戦争 銃声が聞こえるだろう?デタラメしたこんな日々も過去になって思い出になってゆく〉と戦争問題。
〈"国に帰れ"と叫ぶ悲しい響きが起こしたシュプレヒコール肌の色違い探し〉人種差別問題。
〈次に誰を蹴落とそうと品定めニュースキャスター〉芸能人のスクープ問題。
〈あのホームレスの爺さんどこに消えたの?〉ホームレスを排除するかのようなアート風のブロックなど。
東京中心に渦巻く社会問題を歌っている。
だが、東京はそうであるべきじゃないだろうと。〈そうじゃなくて君と歩くいつもの帰り道であるべきだから〉とマヒトゥ・ザ・ピーポーはそんな平和な東京を願っているように思える。
〈キミが泣いてるこの時代よそれに意味があるのだろうか?〉
〈答えを聞かせて東京〉
「Playground」では平和な東京の日常のような生活音が流れ、最後の「I」に繋がる。
「I」は今までと打って変わって更に音数が減り、優しさに包まれた歌声、メロディとなっている。今まで東京の不信感や悪いところを挙げていたり、怒りなどが感じられたが最後の曲で〈東京信じてる〉と歌っている。
また、〈恥ずかしいこの歌がいつか歌えなくなるような僕等になったらお願いだよ殺して〉と歌っており、ここの歌詞は自分のイメージするGEZANらしさがあるが、この曲自体が先程までのGEZANらしくなく、優しさに溢れているように感じるがそれがGEZANの本心なのだろう。
〈理屈じゃない素晴らしい世界で〉〈幸せになるそれがレヴェルだよ〉と最後に歌っており、暗闇の中から一筋の光が射した。そんな感情で43分を終えた。
10年後、さらに輝く1枚
アルバム全体を通して芯の通った仕上がりになっていると感じる1枚だった。
まずメロディに焦点を当ててみると、BPMが100(ハーフビートになり、BPM200になる疾走感のある曲もある)で固定されていたり、ミニマルなフレーズが次の曲と繋がるような仕掛けが施されている。
またテーマとして”東京への希望”があるように感じられる。東京の問題点を挙げていたり、〈キミが泣いてるこの時代〉と悲観的な視点で訴えかけているが、逆説的にそれは東京に対する期待・希望なのではないだろうか?
最後の曲である「I」の最後に〈理屈じゃない素晴らしい世界で〉〈幸せになるそれがレヴェルだよ〉と言っているのがなによりの証拠ではないだろうか?
20年代は始まったばかりだが、早くも20年代を代表するであろう名盤に出逢えた。マヒトゥ・ザ・ピーポーは「東京」が近い将来の曲だ。と言っていた。
今から十数年経って東京から良い答えが聞けること。そんな希望を期待しながらこれから、東京を見守っていきたい。